事業承継ストーリー

「梶やん」の味をこの町で続けていく。70年続く老舗豆腐店と、カメラマンの新しい挑戦。

宮崎市から南に約20km、日向灘に面した小さな農業のまち、宮崎県新富町。そのまちで70年近く豆腐を作り続けてきた「梶原とうふ」は、長年お店を支えてきた先代の勇退にともない、後継者が見つからないまま廃業の危機を迎えていました。

長年愛されたこのまちの豆腐屋さんが消えてしまうかもしれない……そこへ、一人の若者が現れました。

やってきたのは、新富町地域おこし協力隊OBの中山雄太さん、通称「マーシーさん」です。熊本出身の中山さんは世界一周の旅を経て、2019年に地域おこし協力隊として新富町に移住。2022年には町で10年ぶりとなる写真館「ひなた写真館」をオープンするなど、フォトグラファー・映像作家として活躍しています。

豆腐作りの経験はゼロの中山さん。それでも毎朝4時半に工房へ向かい、78歳の師匠の背中を見ながら技術を覚え、ゼロから職人の道に踏み出しました。修行を重ねる中、新富町商工会が開業を後押しする「チャレンジショップ」にも採択され、2026年7月には「梶やんのとうふ食堂」として新たな一歩を踏み出します。

なぜカメラマンが豆腐屋を継ぐことになったのか、そして先代のオーナーはこの承継をどう受け止めているのか。夫婦で「梶原とうふ」を切り盛りしてきた奥様の梶原篤子さん、その味と技術を受け継ぎ「梶やんのとうふ食堂」として新たなチャレンジに踏み出す中山雄太さん、おふたりにお話を伺いました。

譲り手:梶原篤子さん

継ぎ手:中山雄太さん

聞き手:relay編集部

実家の豆腐屋への想いがつないだ、「梶原とうふ」との出会い

 —(聞き手)relay編集部(以下、略):中山さんが「梶原とうふ」の承継を考えはじめたきっかけを教えてください。

(継ぎ手)中山雄太さん(以下、敬称略):もともと、熊本の実家が豆腐料理屋を営んでいて、いずれ継がないといけないという気持ちはあったんです。でも宮崎が好きで、妻とも宮崎で結婚したので離れたくない。だったら、ここに拠点を置きながら2拠点生活でいいじゃないかと思っていたんですよね。

そんな時に、役場職員である岡本さん(現こゆ財団代表理事)に、「新富町で、次の代へのバトンタッチや、今後のことで少しでも迷われている豆腐屋さんがいらしたら、お声がけいただけますと幸いです」とお伝えしていたんです。そうしたら「梶原とうふ」さんのことを教えてもらって。

 —最初から「承継しよう」と決めていたわけではなかったんですね。

中山:はい。まずは一度お話を聞きに行こう、という気持ちで。どういう状況なのか、後継者を本当に望んでいるのか、ご子息の方はどう思われているのか、そういうことを確かめたかった。それに、やっぱり相性もありますからね。実際にお会いしてみないと始まらないと思って、岡本さんと一緒に伺いました。

そしたら、梶原さんご夫妻が出てこられて。息子さんたちの独立などもあり、ご家族での継承は難しい一方、「残せるなら残したい」というおふたりの言葉を聞き、そして先代のご負担のことも伺って、「これは急がないといけない」と思ったんです。実家の方はまだ少し待ってもらって、まずこちらの技術をしっかり継いで残していかないといけない、と。

背中で教える職人の流儀。「見て覚えるしかない」

 —篤子さんは、中山さんが最初に来られた時、どんな印象でしたか?

(譲り手)梶原篤子さん(以下、敬称略):こんな若い人が来てくれたんだと思って、もうただ嬉しかったです。でも正直、ちゃんとできるんだろうかって心配もしてました。うちの人(先代)がまた全然教えないものだから(笑)。どうやって覚えるんだろうって思いながら見ていましたよ。

中山:お二人でずっとやってこられたので、技術は「言葉で教えるもの」ではなく「身体で受け継ぐもの」だったのだと思います。都度お父さんに聞いても、「まぁ大体感覚じゃね」と一言。

長年豆腐と向き合ってきたお父さんにとっては、手触りや温度がすべて身体に染みついているんですよね。その洗練された感覚を盗み取ろうと、とにかく目で見て手を動かしました。

 —具体的にはどんな工程が難しかったですか?

中山:一つ一つの設備の使い方はもちろん、にがり(塩化マグネシウム)の量を見極めるのも本当に繊細な世界です。毎日濃度が変わる豆乳の状態に合わせてどれだけ入れるか、そこは今でも、長年豆乳の表情を見続けてきたお母さんの「熟練した目」を借りながら、正解を探っているところです。

そして、それに続く豆腐の「寄せ(凝固)」の作業も難しくて。パックの中に入った後もどんどん水が抜けて少し硬くなっていくので、そこまで見越して塩梅を判断するんです。お客様が口に運ぶ瞬間をイメージして調整するお母さんの感覚は、長年積み上げてきたものがあって、まだまだ及ばないです。

梶原:そこはもう、手で触ってわかるようになるまで時間がかかるね。私もそうだったから。

「やりたいようにやればいい」、気持ちを前に進めてくれた先代の言葉。

 —中山さんは、「梶原とうふ」の暖簾を引き継ぐことへのプレッシャーも感じますか?

中山:感じます。「梶原とうふ」として70年近くやってこられたわけで、そこはやっぱり無下にはできない。今度オープンする食堂にも「梶原」に関する名前を使いたいと思って、お父さんに相談したんです。「お父さんって子供の頃どんなあだ名でしたか?」って聞いたら、「俺は『梶やん』って呼ばれとったな」って。もう、それだ!と思って。

梶原:うちの子どもたちはロゴマーク見て「なんでお父さんの顔にするの」って言ってたよ(笑)。

中山:ご子息の皆さんには「梶原とうふの食堂」ってわかるけど、いきなり食堂で「マーシー」って名前が出てきても、町の人はあの人カメラマンじゃないの?ってなると思ったので。僕自身、このロゴはすごく気に入っています。

 —篤子さんは、中山さんにどんなことを期待していますか?

梶原:もうね、暖簾とかそういうのはいっさい考えんでいいよって言ってるんです。あなたのこれからの道を、やりたいようにやればいい。そう言っています。

中山:そうおっしゃってくれるから挑戦しやすいんですよね。引き継ぎにありがちな、あれはこうしろ、これはこうじゃないとダメだっていうしがらみがないから、やりがいにもなってるし、頑張らないといけないっていう気持ちにさせてくれる。

それと、2〜3年後には梶原家の皆さんを北海道旅行に連れて行くって決めているんです。お父さんとお母さんが元気なうちに、感謝の気持ちを形にしたくて。だからしっかり稼がないといけない。

梶原:ほんとに、来てくれて嬉しいっちゃかし。元気でいないかんと思ったよ。

卸売りだけでは続かない。食堂と付加価値で描く新しいモデル

 —事業としての課題はどう捉えていますか?

中山:全国的に豆腐屋さんがどんどん廃業しているのは、もう明白な現実なんですよね。卸売りだけでは、家族経営の小さいところは本当に厳しい。だからこそ、これからは豆腐の新しい可能性や、ここでしか出会えない価値をプラスして届けていきたいと考えています。

お豆腐は「鮮度が命の生き物」です。その圧倒的な「出来立ての美味しさ」を鮮度の高いうちに味わってもらうためにも、また、長く愛されるお店にするためにも、様々な形に姿を変えて、豆腐の魅力を発信していきたいですね。できたてを届けられる強みを活かしながら、ランチの食堂で売り上げを作って、卸と両輪で回していかないとと思っています。

 —2026年7月にオープンする「梶やんのとうふ食堂」は、どんなお店にしたいですか?

中山:出来立てのお豆腐で作った自慢の豆飯(とうめし。醤油ベースの出汁でじっくり煮込んだ豆腐丼)をメインに、おぼろどうふの厚揚げや麻婆豆腐、豚軟骨豆腐まで4定食ご用意しています。

テイクアウトにも対応予定なので、テゲバジャーロ宮崎やヴィアマテラス宮崎(新富町にホームスタジアムを構えるプロサッカークラブ)の試合に来るサポーターの皆さんにも立ち寄ってもらえたらいいなと思っています。

今回は、チャレンジショップという商工会の事業で1年間の出店機会をいただきました。ここで実績を作って、新富町のどこかにちゃんとしたお店を開くのが次のステップです。

梶原:スタジアムへサッカーを見に来られる方々をたくさん見ていて、試合の前後をゆったり過ごしたり、温かいご飯を食べたりできる場所がもっと近くにあれば、観戦がさらに楽しくなるんじゃないかなと感じています。

スタジアムのすぐ近くで、『出来立ての美味しいとうふ料理が食べられる食堂』という新しい選択肢ができれば、きっと喜んでもらえるとワクワクしているよ。

中山:将来的には豆乳やおからも活用した惣菜やスイーツも出していきたいし、人を雇えるくらいの規模にして、私自身がもっと自由に動いてスケールさせていけるようにしたい。私以外のひとにも梶原さんご夫妻の技術をしっかり受け継いで、守っていきたいと思っています。

「梶やん」が飛び交うまちに。若い世代が動けば、新富は変わる

 —新富町への思いもぜひ聞かせてください。

中山:新富の人が好きだし、風景も好きで。派手なものはないんですけど、それがよくて居心地がいい。宮崎市にも空港にも近くて、病院もある。不便なことが何もないのに、飲食店だけが少ない。だから、選択肢の一つになれるよう、もっと盛り上げていきたいんです。

先日、町のイベントで豆腐を出させていただいた時に、近くにいらしたお客様が「日の出地区の、梶原とうふのとこか」と言ってくださって。そうやって名前がリンクしていくのが嬉しくて。「梶やん行こうや」って言葉がまちのあちこちで飛び交うような、馴染みのあるお店にしていきたいですね。

 —最後に、これから事業承継を考えている方へメッセージをお願いします。

中山:私のように、外から来た若い世代が「事業承継」という形で地域の歴史を繋ぎ、新しく挑戦していく姿が、次の誰かの背中を押すきっかけになればと思っています。

「ゼロからのスタートじゃなくても、こうやって地域の宝を引き継いで、自分らしく形を変えていく道があるんだ」と感じてもらい、「あいつがやれたなら、私も地域で眠っている大切な場所を引き継いでみようかな」という人が一人でも増えてくれたら嬉しいです。お互いの挑戦をリスペクトし合いながら、一緒に産業を盛り上げていきたいですね。

梶原:夢がいっぱいあるね。でも、来てくれて本当によかった。マーシーくんのためにも元気でいないかんと思ってる。

「こんな若い人が来てくれた」と目を細めながら話す篤子さんと、「2〜3年後に北海道旅行に連れて行きます」と照れくさそうに語る中山さん。おふたりの会話に流れる空気は、師弟関係を超えたひとつの家族のようでした。

全国で豆腐屋の廃業が続くなか、新富町では「梶やん」という愛称とともに、まちの味が次の世代へとつながろうとしています。

relayは、これからも新富町の皆さんと共に、ひとつひとつ事業承継の物語をお届けしていきます。

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