後継者募集記事

高野山冨貴で70年以上の歴史。需要がうなぎのぼりの「薄板」の職人技を引き継ぐ後継者を募集!

奈良県五條市を走る国道24号線から、山あいの道である県道732号線を車で20分ほど南下すると、和歌山県伊都郡高野町富貴(こうやちょうふき)の小さな集落にたどり着きます。

木々が多く豊富に自然が残る富貴地区は、昔は高野山や大峰山へ参拝する方の宿場町として栄えていました。

その富貴地区の県道沿いで長らく「薄板(うすいた)」の製造をしている、「梶谷木工所」。経営者の梶谷隆一(かじたにりゅういち)さんの体力的な問題もあり、このたび事業継承を検討されています。

職人技によって作り出される「薄板」

梶谷木工所で製造されている商品は、一般的に「経木(きょうぎ、へぎ)」と呼ばれる紙のように薄い板で、近隣では昔から薄板と呼ばれています。

松の木を原料としてつくられ、主に食品の包材として贈答品などにも利用されています。
厚みは何と0.15mm。一般的な官製はがきより薄く、まさに職人技で作られた見た目も美しい商品です。

丸太から切り出した材料を、昭和40年代に製造されたという年代物の専用機械で薄く削ります。水分を抜くため工場で1週間ほど乾燥させ、最終的に製品の大きさにカットして出荷されます。カットする機械の刃を研ぐのも、すべて梶谷さんが担っています。

そうして作られた薄板は吸水性や通気性に富み、松に含まれる成分で殺菌効果もあることから、近年あらためて注目されている商品となっています。

ていねいな仕事と原料へのこだわり、人と人とのつながりで商売をつなぐ

梶谷木工所の歴史は、戦後すぐにまでさかのぼります。
兵隊に出ていたお父様が戻り、「富貴地区で何か商売ができないか」という考えから始めたそうです。

梶谷さん「もともとこのあたりにたくさん松が生えていて、それをどうにか生かせないかというので薄板づくりを始めたと聞いています」

父親が開業したあと次々と同業者が増え、一時期は近隣に10件以上あったそうです。
しかしながら、発泡スチロールが食品の包材として使用されるようになってくると、徐々に需要が減ってきます。

需要の減少と共に同業者の廃業が続き、ついには梶谷木工所1件のみに。創業者であるお父様も、その時は廃業を考えていたそうです。

そこで現社長の梶谷さんは、大阪で商事会社に勤めていたのを辞め、30歳のころに高野町に戻り家業を継ごうと決意します。

梶谷さん「ここで事業をたたむのはもったいない、せっかく作られた人と人とのつながりを大切にしたいと思って」

和歌山に戻られた当初は、食べるのも苦しいような時代もあったそうです。しかしながら、丁寧な仕事と原材料へのこだわりは欠かしません。

梶谷さん「松は節と節の間が長いので使いやすい。途中に節があると穴が開くので、製品として出荷できません。また寒い時季の松でないと、カビが出たり松脂の塊があったりで品質上問題があります。スギやヒノキは四季を通じて原料はあるのですが、節が多いのでサイズの長い製品が作りにくいんです」

薄板に適した良品質の松の木は、需要が増えているけれど木材業者が減っているとのことで、年々数が減ってきているのだそうです。そのような中、時間を見つけて遠くの市場まで出かけて、質のよい木材を集めて商品にしています。

そういった努力が実を結び、現在では全国各地から取引の依頼が来るようになりました。

薄板の需要はうなぎのぼりで供給が追いつかないほど

薄板は丸太から切り出す作業からすべて自分で実施するため、体力を非常に使います。

70歳を超えてから体力の衰えを感じた梶谷さんは、事業を継承するか、自分の代でもうやめてしまおうかずっと悩まれていたそうです。

梶谷さん「力仕事なので、もう全身ケガだらけです。8年前には丸太が転がってきて足を骨折してしまいました。それでも仕事を続けるのは、商品を切らしたらダメだという気持ちが頭にあったからです」

現在は海外からの木材輸入が減ってきたうえ国産回帰の動きもあり、需要は非常に増えていて処理しきれないほどの依頼があるのだとか。

梶谷さん「全国的に需要が増えているけれど、生産が間に合わない状態。原料もそうだし、人の問題もあります。商品を分けてほしいといった問い合わせは多いのですが、対応できないので断っている状況です」

薄板は燃やしても有害なガスが出ず、埋めれば土に返るエコ商品という側面もあります。

最近では食品の包材の使用だけではなく、雑貨店やさまざまなジャンルのお店で販売されているのを見かけることも増えてきました。

梶谷さん「松以外のスギやヒノキでうまく薄板が作れるならば、近場にたくさんあり一年中材料が手に入るので、材料不足の問題はめどが立ちます。そういったアイディアを持っている方ならばより良いのではないかと思います」

薄板はこれからの需要がまだまだ見込まれる、注目される商品といえるでしょう。

これまで受け継がれた技術と文化を途絶えさせたくない

高野町では、少子高齢化を防ぐ目的で移住定住施策に力を入れています。

富貴地区でも休校だった小学校が再開するほどに人口が増えつつあり、年配の多かった富貴地区に活気が戻ってきました。

梶谷さん「住居のお世話は私では難しいので高野町に問い合わせてもらうか、富貴地区で見つからない場合は五條市や橋本市に住居を構えて、ここまで通っていただくのがいいかもしれないですね」

薄板の製造は、丸太から製品になるまで多くの工程が必要です。その技術は一朝一夕につけるのは難しく、おそらく2,3年はかかるだろうと梶谷さんは語ります。

梶谷さん「技術面はもちろん私がサポートします。しかし私も体力的につらくなってきたので、もしやりたいとおっしゃっていただけるなら早い方がありがたいです。どうしても継ぎたいという気持ちを持った、真面目な方にお任せしたいですね」

継承方法についてはまだ決めかねているところですが、どうせならすべてまとめてやってもらうのが希望だということです。

高野山で70年以上も薄板を作り続けてきた、梶谷木工所。

これまで受け継がれた技術と文化を途絶えさせず、チャレンジ精神も合わせ持った後継者の方を広く募集しています。

事業者情報

商号 梶谷木工所
所在地 和歌山県 伊都郡高野町東富貴470
代表者 梶谷 隆一
業種 製造・卸
応募条件 チャレンジ精神があり、真面目に物事に取り組み続けることができる方
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